第2回講義に向けて_参考文献その2
レオ・スタインバーグ「哲学的な娼窟」(訳:岩原明子、『美術手帖』1977年12月号・1978年2月号) 沢山遼氏による講義《事物の動態/事象の束:クラウスからスタインバーグへ》 http://mniizeki.wixsite.com/epicurus/event の参考文献の二番目です。 ピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」を、アメリカの美術史家・批評家であるスタインバーグが分析したもの。あまり明らかになっていなかった「アヴィニョンの娘たち」の成立過程を、その下絵やドローイングなどから詳細に検討し、若きピカソがこの作品をどのようにダイナミックに作り上げて行ったかを追います。さながら探偵小説をよんでいるかのような感覚がもたらされる論考で、実証的な資料はいくつか新しく見つかってもいますが、いまだにそのスリリングさを失わない内容です。 構想の段階では画中に含まれていた二人の男が画面から姿を消し、徐々に組み上げられる絵画空間は、いつかその前に立つ観客を「当事者」にしてしまう。消えた男はピカソ自身の似姿でもあり、ピカソの知人でもある。空間は不連続に入組み、様式は統一されない。ここでピカソは作品と観客の固定的関係を壊しながら、「圧縮された内部空間の爆発」を描いてゆく。その様子を、スタインバーグはクールかつエモーショナルな筆致で切り出します。充実している註も、見逃すことができません。 40年も前の『美術手帖』ですが、入手は不可能ではありません。古書を丹念に拾えば流通しています。また、論考が2冊に分かれて掲載されているので、美術館や大学の図書館でバックナンバーを検索する方がよいかもしれません。美術に関心をもち、意識的製作を志すならば、一度は読んでおくべきテキストでしょう。問題は、ここでも日本の出版事情になるかもしれません。レオ・スタインバーグの論集がいまだに一冊も出ていない、ということが信じがたいのであり、T・J・クラークやマイケル・フリードと並んで「なぜか本がでない」重要批評家の一人になっています。同じ論者の「他の評価基準」も林卓行氏の訳で『美術手帖』1997年1月号、2月号、3月号に掲載されていますが、これをなぜ出版できないのか、謎ですらあります。 沢山遼氏が、ポスト=メディウムの議論をどうスタインバーグに接続するのかは27日に迫った講義に期待しましょう。おそらくは、スタインバーグに勝るとも劣らない「斜めの動き」に満ちたものになりそうです。