第2回講義に向けて 参考文献その1
表象〈8〉ポストメディウム 映像のゆくえ(月曜社、2014年) 沢山遼氏による講義《事物の動態/事象の束:クラウスからスタインバーグへ》 http://mniizeki.wixsite.com/epicurus/event の参考文献です。
表象文化論学会による雑誌「表象」の8号は、既に入手が困難になっていますが、重要な号といえます。まず中核的なコンテンツとしてロザリンド・クラウスによる「メディウムの再発明」(訳:星野太)があります。ここでクラウスはスタンリー・カヴェルを参照しながら映画が「単一のメディウム」からはなりたたないことを示し、グリーンバーグ流の「メディウムの単一性(への純化)」というストーリーの批判を意図します。メディウムを見るときに必要なのは即物的な視点でなく、そこに含まれた自己差延化の契機であるとし、これを「メディウムの再発明」と呼びます。 巻頭の共同討議「ポストメディウム理論と映像の現在」(加治屋健司+北野圭介+堀潤之+前川修+門林岳史)では、このクラウスの論が、必ずしも同時代の美術状況を適切に捉えたものではないことを確認しつつ、むしろ映画・映像、および映画・映像論のような、やや美術から離れた領域で様々な議論や可能性を提起しているのではないかと語られます。映画のデジタル化に認められるメディウム性の変容や捉えがたさについての議論は、昨今の3DCGを駆使した映画やアニメーションを見る際に示唆的でしょう。注意深く読まないと、クラウスのアイディアが非常にベタに「映画・映像論」としてだけ読めてしまいかねませんが、おおむね現状に即した、ある意味「親切」な解説となっています。事実、クラウスの文章は、共同討議で踏まえられた分脈を知らなければ、とくに序盤を読み進めるのに少し苦労するでしょう。しかし、中盤以後は、相応にスリリングな内容です。 冒頭に書いたように、既に一般の書店では入手がほぼ無理になり、古書の価格も高騰しています。月曜社および表象文化論学会の関係者の方には、増刷あるいは電子書籍化を検討してほしいと思います。 あわせて過日、東浩紀氏が主宰する「ゲンロン」で行われた座談会での、安藤礼二氏による表象文化論に対する批判的言及にも触れておきましょう。安藤氏の論点は複数あり、それへの応答は当事者に委ねますが、少なくともこの文章の筆者(永瀬)のような、美術製作の現場にいながら、というよりもそれ故に美術および隣接する複数の領域の理論的な思考及び海外文献の読解の必要性を感じている者にとって、日本における表象文化論とよばれる学問領域の広がり、及び雑誌「表象」を含めた表象文化論学会の活動は重要です。海外文献の翻訳は現在の出版事情の中で困難となっており、その困難を押していくつかの翻訳事業が行われた意義は、強調しておきたいと思います。 雑誌「表象」もまた、大学及び学会内の紀要のように組織内部に自閉することなく、一般書店で流通する「雑誌」として作られている点が重要です。このことによって、外部からのアクセス(今回のような批判も含めて)が可能になっている。安藤礼二氏の発言はあくまで「批評」という論点からのものですし、筆者は現在の日本の美術および美術批評の“アカデミズム化”は警戒すべきものと考えますが、そもそも表象文化論および表象文化論学会は「批評」とは異なる位相にあります。その成果をいかに生産的に捉えるかは文字通り受け手によりましょう。筆者としては、引き続き雑誌「表象」の刊行の継続を期待します。