ブックガイド2 出会いの唯物論の地下水脈
出会いの唯物論の地下水脈(「哲学・政治著作集㈵」に収録。1996年、藤原書店)ルイ・アルチュセール フランスの哲学者、ルイ・アルチュセールの遺稿から「発掘」された奇妙なテキスト。世界に起源と目的を据えたプラトン的イデア論とその系譜上にある西洋哲学が覆い隠してきた、全てのはじまりを「偶然性」に見出す唯物論の系譜をマルクスの学位論文からルクレティウス・エピクロスにまで遡行し確認する。詩的喚起力とあいまって、その「言葉」自体が読むものに降り注ぐこのテキストは、資本の運動への根本的革命を哲学的に思考しながら、社会主義諸国の崩壊と平行するかのように妻を殺害し精神病院に入院したアルチュセールの、自らの更新の痕跡とも読める。 このテキストはあくまで膨大なアルチュセールの仕事の中で小さな一編にすぎないが、この一編こそが逆に彼のすべてのテキストを照らしなおすような輝きをもっている。例えば見るべきは、このテキストが収録された「哲学・政治著作集」の、物理的な(唯物的な)「厚み」である。これだけのテキストが書かれ続けなければいけなかった根拠は何か。訳者の市田良彦が言うように、アルチュセールはその生涯において、自説を次から次へと変更し、否定し、新たに書き直してきた。試みられた書物は幾度となく放棄され、後には後続の研究者も戸惑うような未整理の、論考ともいえないエッセイが堆積した。その流動性、「斜め」性、つまり運動の軌跡にこそ「出会いの唯物論」を見ることは可能かもしれない。 だが、同時にそれは、常に自らを斜めに変更し続けることが、いかに危険で過酷な工程なのかを証明してもいる。徹底的に非-目的論的であろうとすること。非-目的論を固定的立場から論証するのではなく、いわば非-目的論的に「生きる」こと。流動性を論じるよりも、実際に流動的であろうとすること。その困難こそがアルチュセールを狂気と殺人に追い込んだ。表層的な人文的あるいは美術的なタームの変遷とは無関係なところで、今後も何度も読み返されるだろう文章である。