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第3回講義に向けて_参考文献その2


郡司ペギオ幸夫「いきものとなまものの哲学」(青土社、2014年) 郡司ペギオ幸夫氏による講義《因果反転を可能とする地平》 http://mniizeki.wixsite.com/epicurus/event の参考文献第二弾です。 茂木健一郎氏がTwitter上で「郡司先生の著書で初学者にオススメの本とかありますか?」と聞かれて「ないです」と答えたのは一部で有名ですが、2014年に出版された「いきものとなまものの哲学」は、そのような「初学者にオススメの本」と言えるでしょうか。専門の論文ではなく、一般の雑誌などに寄稿されたエッセイを再構成したもので、人文的な切り口も多く、一見そのような期待に応えているといえるかもしれません。しかし、読み出すとそのような期待は爽快に裏切られるでしょう。本の中盤、「モデルの登場」「モデル実装への糸口-生きものにみる社会性」のあたりから記述はぐっと詳細になってゆきます。十分以上の読み応えと言えます。 「内部観測」の記事でも書きましたが、郡司氏の試みにおいては「初学者向け」というスタンスがきわめて取りづらい、という事情があります。同時に郡司氏は、その難しい「初学者向け」の語り口、文体を、徹底的に一貫して試みています。「生きていることの科学 生命・意識のマテリアル」 (講談社現代新書、2006年)、「群れは意識をもつ 」(PHPサイエンス・ワールド新書、2014年)、いずれも、噛んで含めるように、同じ事を異なる角度から、多彩な例示を駆使して読者に伝えようとします。困難な塹壕戦のように、わずかに進みながら横にずれ、またわずかに進んでは撤退してまた新たな攻め口を模索する。郡司氏の「複雑なものを複雑さの相を崩さぬように他者に伝える」情熱こそが、これらの本を読んでいて最も伝わってくるものかもしれません。 「いきものとなまものの哲学」においては双対図式、というものがキーになっています。まず双対関係を踏まえましょう。たとえば「コーヒー」という言葉があればそこにはある植物の豆を焙煎してひいて粉にしたものから湯で成分を抽出した飲み物が存在します。一方を規定すると他方が自動的に規定される、これが双対関係です。言葉と指示対象が一対一対応しているとき、一方を考えれば一方が決まる(主体・客体、社会・個人、etc.)。このような図式が双対図式です。郡司氏はこのような双対図式を、批判するのではなく「利用」し、そこからジャンプしようとしています(双対図式は実在もせず、従って「改良」も出来ないが「杖」のように使える)。次いで双対空間が無際限に並んだ世界を想定し、そのすべてを貫く「普遍的双対性」(デランダ)を退けて(それは一度解体した双対空間を別の双対空間に変換しているだけ)、各双対空間が非同期時間で進行するとき、未来だったものを過去とする時間(現実化)と、過去となったものから未来を見出す予期(脱時間化)が、各双対空間の間で実現されながら進む現象となります(本書98-99頁「ポスト複雑系」)。 おそらく、「いきものとなまものの哲学」を読むときに最も重要なのが、この項目の理解です。やがて、双対図式の脱構築を「実装」するための準備が語られることになります。ここで、理化学的なモデルを読みこむのに苦労する(筆者のような)読者にとって人文的なブリッジになるのがニーチェ-ドゥルーズの理解です。しかし、この表記は既に反転しています。「いきものとなまものの哲学」では「ポスト・ドゥルーズとしてのニーチェ」が召喚されるのですから。そして議論はメイヤスーの思弁的実在論に繋がります。講義「因果反転を可能とする地平」においても、そのような「反転」の運動が語られるかもしれません。

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