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沢山遼氏《事物の動態/事象の束:クラウスからスタインバーグへ》講義 概要

ロザリンド・クラウスは、要するに同じ事しか言っていない。単一のメディウムではなく複数のメディウムの間に、滑らかに連続したイメージではなく断絶したイメージの不連続に、ひとつの場所からではなく複数の様々な角度、そして距離からの視線に、それらの形成するパルス・ビートに自己差異化が見出せると。そこで下敷きになっているのはスタンリー・カヴェルであり、ヴァルター・ベンヤミンであり、ジャック・デリダである。そしてその内容に呼応するように、様々な角度から、距離から、断絶と連続のビートのように彼女の論考は綴られている…。 講師の美術批評家・沢山遼氏が、丁寧に、かつある裁断の力をもって、クラウスの仕事に内在するコアのようなものを抽出してゆきます。後期の仕事であるポストメディウム・コンディションという概念を捉えたあとクラウスの歩みを遡行的にたどりながら、そこここに同型の論理を見出してゆくさまは、半ば外科医の手術を見ているようでもあります。グリーンバーグに抗するように単一性に対して多数性を、真実性に対して偽性を、と項を対置していくクラウス。しかし、沢山氏は、そのようなグリーンバーグ・クラウスの対置関係が、まさに西欧哲学の伝統的な構図、いわばプラトン対アリストテレスのようなものになっていると指摘します。 注目すべきは、クラウスのポストメディウム・コンディションというアイディアが映画あるいはスライドショーの構造に支えられている為に、あくまで実体的な映画・映像論に読まれかねない点でしょう。いずれにせよ、それらの限界を超える契機として、沢山氏はクラウスの仕事に留まらず、さらにクラウスに先行していたスタインバーグを取り上げます。有名な「哲学的な売春窟」(邦訳では「哲学的な娼窟」)でピカソの「アヴィニョンの娘たち」を分析したスタインバーグは、入念な下絵や予備スケッチなどの読み取りから、絵画面の中に様々な位置や角度や距離、そしてそれらのダイナミックな再編成、動きを抽出しています。クラウスの限界は、その実態的な意味での時間のポスト(次)というよりも、逆に時間を遡っていくことで超えることができるのではないか。 最後のスタインバーグの検討が、時間の制限のためにやや駆け足になってしまった事が残念ですが(これは会場の時間を十分に余裕をもって設定できなかった私たち主催者の責任です)、ケントリッジなどの映像を見せながら、明晰に整理された講義となりました。《事物の動態/事象の束》のタイトルにふさわしいものだったのではないでしょうか。前回、展覧会全体のテーマとなる「偶然性唯物論」について講義を受けた私たちですが、今回はより具体的な「作品」をどのように把握し、制作するかに繋がる場になったと考えます。

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