高橋悠治氏×三松幸雄氏 《自然について ― ΠΕΡΙΦΥΣΕΩΣ》概要
「エピクロスの空き地」展はここまで三回の講義を開催してきましたが、展覧会期間中の7月1日に行われた最終回は「講義」ではなく“講義・対話・問答など”とされています。「一方から一方へ情報を与える」という形に対する疑義は第一回の市田良彦氏《ルイ・アルチュセール「偶然性唯物論」講義...
高橋悠治の音楽、いくつかの事例――ディスクガイド+
『フーガの[電子]技法――《フーガの技法》BWV1080より7曲』[録音:1975年]([復刻版]DENON, 2006年) 永瀬 コンサートに行くっていうあの形式が僕はすごく苦手で、録音されたものとかはよく聴くんですけど、だから高橋悠治さんのコンサートにはまだ行った...
最終講義に向けて_参考文献
「無」から音楽をたちあげることはどのように可能なのか。三松幸雄氏による「ex nihilo-ヤニス・クセナキスと芸術の形而上学 序説」(『ART CRITIQUE n.04』所収、BLUE ART、2014年)は、クセナキスが生涯に渡って保持したこの命題を、緊密な文章によっ...
ディスクガイド+ 高橋悠治の音楽 事例
講演者の一人である高橋悠治氏の音楽作品について、録音があるものを中心に書くことを依頼された。 そこで、「エピクロスの空き地」展にとって、ひとつの導きの糸となるに違いない「クリナメン」あるいは「パレンクリシス」――原子の軌道の「逸れ」――という、実在に宿る不確かな運動のあ...